コーチング的視点で見る「ショーンK」問題

TVでショーンK氏の経歴詐称問題が連日取り上げられている。

経歴を偽って、自分を良く見せて仕事をゲットしたわけだから当然褒められたものではない。

TVは昔の姿を探したり、過去を晒すことに執心だけれど、私の場合仕事柄どうしてそういうことになったのか?を考えてしまう。

コーチング的視点で見るならば「自己受容」が出来ていない人だからなのかなと思う。

「自己受容」とは良いところも悪いところも、ありのままの自分を受け入れるということで、色々あってこそ今の自分が成り立っているという考えだ。

K氏はありのままの自分を受け入れられずに、否定して違う自分を演じているわけだから、ある意味悲しい人なのだと思う。

だって、自分が自分を受け入れなかったら、表現は適当ではないかもしれないが自傷行為をしているのと同じだから。

自分で自分を否定したり、苦しくしたりしているわけだから、自分がかわいそうだ。

恐らく、偽りの外観に中身を追い付かせようとして相当努力もしたはずなのに、いつも後ろめたい気持ちがあったのではないかということは容易に想像できる。

ただし、これはショーンK氏が特別ではなく、自分を良く見せたいと思う気持ちは誰にでもある。

かく言う私にもあった。

私もいい年になるまで、実は触れたくない過去があった。それは小学校4年生の時の話だ。

簡単に言うと「ドラえもんのジャイアン」をもっと酷くしたような小学生でクラス全員から嫌われていたのだ。

具体的に何をやったのかということはほとんど覚えていないのだが(都合が悪いことは記憶から消すんだな)相当ひどかったと思う。

今でも出来る事なら、その時のクラスメイトに一人一人謝りたいくらいだから。

私は親と担任教師の話の結果、環境を変える方が良いということになって転校することになったのだが、最終日に私の人生を変える出来事が起こる。

私が転校するということを担任が告げるとなんと拍手喝さいが起こったのだ。一人一人顔を見るとすごくうれしそうな表情をしている。

物凄くショックだった。

だって普通は拍手喝さいって人から称えられる時に、誇らしい気分でもらうものでしょ?

私の場合は全く正反対だったから物凄いインパクトがあった。もちろん、自業自得で当然の結果だったから仕方ないのだが、衝撃度はメガトン級だった。

だから私は転校を機に自分を変えようと一大決心し、別人になった。いや、なる努力をした。

そんな努力のかいあって、今そんな話をすると「想像つかないね」なんて言ってもらえるようになったが、しばらくは自分を語る時にその話題を出すことはできなかった。

それは、意識的に変化させてきた今までの自分が根底から否定されるような気がしたから。

その話ができるようになったのは、ここ数年の事。自分がコーチになって、しかもコーチングを受けるようになってから。

コーチというのは、人の成長を促進する仕事だから、自分と向き合える自己基盤ができていないと説得力もなくなるし、信頼性もなくなる。

自分を偽って苦しく生きるより、ありのままの自分を出せる方がはるかに人からは魅力的に見えるということに気づいてもらうよう促す立場だから、自らがお手本を示せないと矛盾してしまう。

後になってみて、とんでもない仕事を始めたものだな(笑)としみじみ思った。

でも素晴らしい仕事だと思っているし、これこそが自分の人生をかけるべき仕事だとも思っている。

こんな風に思えたのも、小学校4年の時の出来事があるからだ。

当時のクラスメイトいは大変申し訳ないが、自分にとって必要な経験だったのではないかとすら思えるようになった。

だから、コーチングは素晴らしいものだと思っているし、たくさんの人に知ってもらい、体験してもらいたいと思っている。

もしあなたの周りで、コーチと名乗る人がいて、好感の持てる、信頼のできる人なら、是非一度コーチングを受けてみてほしい。

きっとあなたの人生が変わるはずだから。

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