なぜ、主体性が身につかないのか?

「主体性を発揮する事による不利益」がある。

主体性とは「自ら考え、決めて、責任を持って遂行する」性質を言いますが、
これを発揮する上で障害になるのが、それにともない発生する「不利益」です。

どういうことかと言うと

例えば、身近な例で言うとダイエットがあります。


私たちは、痩せた方が健康的で、また着られる服も増えたり、見た目も良くなったりと
良いことがたくさんある事がわかっているにも関わらず、途中で挫折してしまう事が多いのは、
現状手にしている「好きな時に好きなものを好きなだけ」食べられるという
魅力的な「恩恵」があるからです。




だからこそ、「無理して変わらなくても良いんじゃないの?」「今の幸せを手放しても良いの?」と
いう悪魔のささやき(笑)に負けてしまうのです。


このように明らかに自分にとってプラスになる恩恵を手に入れようとする場合にも
現状、既に持っている「恩恵」を手放さなくてはならなくなるので、
主体性を発揮し続ける事が難しいのです。


したがって、主体性を発揮し続けるためには、既に持っている恩恵を手放しても、リスクや負担、責任などの「苦痛」があったとしてもその先にある「新たな恩恵」に対し、常に目が行くように仕向けてゆく必要があります。


では、どうやって変換するのか?という事ですが、今まで私が試した中で有効な方法をご紹介したいと思います。

それは、苦痛を乗り越えたら得られるであろう「成果」や「自分に対するご褒美」を具体的に言語化する、さらに「いつも目につくように掲示」する事です。



例えば、何かの資格にチャレンジするとします。

試験勉強に努力と時間を費やす事は「苦痛」に感じるかもしれませんが、これらを乗り越え、
「合格」した後に待っている「恩恵」「ご褒美」を具体的にイメージ、描写し、
目に見える場所に「掲示」するのです。


そうすると途中で心が折れそうになった時に「掲示物」を見る事で
思いを新たに「気持ちを切り替える」事が出来ます。


ポイントは本当に「テンションが上がるような恩恵」を考える事、ご褒美を設定する事です。


今まで自分が決めた事に関して何をやっても続かないという経験がある方はには
ぜひ試していただきたいです。


日本人の主体性が弱い理由❷


日本における環境的な要因・年功序列の給与体系

日本の社会形成に大きな影響を与えた儒教の教えは、年功序列という考え方を反映した給与システムにも色濃く影響したと考えられます。

つまり、その人の「実力」や生み出す「成果」よりも経験や年齢を重んじて給与が支払われるという事ですが、言い方を変えると「やっても、やらなくても給料はあまり変わらない」 という事です。

何か余計な事をして、失敗するリスクを冒すより、過去の正解に従って忠実に行動していれば良い。

そんな思考慣習が、主体性の欠如に大きく影響を与えたと考えられます。

以下の表をご覧いただきたいのですが、アメリカのギャラップ社という調査会社が発表した「国別の熱意にあふれた社員の比率」を比べたグラフです。

経団連がこの結果を踏まえて、大きな危機感を持ったというニュースが、新聞に取り上げられていましたのでご存じの方もいらっしゃると思いますが、「熱意にあふれた社員」の比率がアメリカの31%に対し、日本は6%と大きな開きが出ています。

エンゲージメント比較

これが、今日における日米企業における「生産性」の差になっていると考えられます。

ご存じの通り、アメリカは貧困の格差が大きく、稼げる人と稼げない人のギャップが大きくなっていますが、これもキャリアや年齢ではなく、能力で人が評価されるという事によって生まれていると言って良いと思います。

したがって、自分の給料を上げたければ、自ら自分に投資をしたり、勉強をし続けていき、自分の価値を上げ続けてゆく必要があるわけです。

これは、「日本と欧米の教育の違い」という問題も大きく影響しています。

最近は日本も少し変わってきているようですが、従来、日本における学びの目的は、偏差値の高い学校に入り、大きな企業に入る事でした。

しかし、欧米における教育は、将来を見据え、自分の個性を探し、自分がしたいことを見つけ、自分が進むべき道を見つけるためのプロセスになっています。

なので、大学に入る事で、多くの日本の学生のように燃え尽きることなく、目的をもって学び続けるわけです。

さらに、その姿勢は、社会人になってからも継続します。


これに対して日本は、「何のために?何をする?」ではなく「どこへ入る?」というところに価値を置いたブランド主義の弊害が色濃く残っている上に、評価制度に年功序列が色濃く残っているので、主体性はなかなか身につかないのです。

これが今日「答えのない」時代において、アメリカと日本の大きな差になっていると考えられます。

私は、カンパニーコーチとして「企業のビジネスマン育成」に関わる言う仕事をしていますが、コーチングが日本に入ってから、20年以上経っているにもかかわらず、日本でなかなか市民権を得られていない理由もここにあると思っています。

コーチングは、「コーチを活用して」視点、視野、視座を変える事で、気づきを得て、自身の新たな推進力にしてゆくものですが、「答えはその人の中にある」という事が前提であり、自ら考え、決断し、行動して行く「主体性」がないと効力を発揮しません。

つまり、様々な制約があっても「すべての答えを自分の中に見出せる」人でないと機能しないという事です。

能力給でない日本のビジネスマンは主体性が持てないのか?

頑張ったご褒美がお金と言うのはわかりやすいのですが、逆に頑張っても、頑張らなくてもお金が増えないとしたら、本当に主体性は育たないのでしょうか?

私はそうは思いません。

なぜなら、働く事によって得られる報酬は「お金」だけではないし、「現在」だけでなく、「自分の未来に向けた投資」という「視点」を持つと「今」、主体性を持って生きる「価値」が見えてくるからです。


特に、日本では平均寿命がいまだに伸び続けており、「定年後の人生」が長くなっています。


つまり、多くの方が会社を「卒業した」後も働く事になると思います。



働いてお金を稼ぐ方法は大きく2つあります。

一つは「時間を売る」という考え方でもう一つは「価値や貢献を売る」と言う考え方です。


しかし、今後「時間を売る」ような作業的な仕事は人工知能やロボットの発達により、少なくなってゆく事が予想されます。

したがって「価値や貢献を売る」方を選択した方が「賢明」ではないでしょうか。

とは言っても、簡単に実現できる事ではないと思いますが、
今から自分の価値を増やしてゆく事を意識し、

人に、組織に、会社に、社会に貢献してゆく事を見つけ、

取り組んで行けば、必ず自分なりの付加価値の増やし方が分かって行くはずです。

これについては、また別の機会に詳しくお話したいと思います。

日本人の主体性が弱い理由❶

■日本人の主体性が弱い理由❶

私は今まで、組織コーチや研修講師として5000人を超えるビジネスマンにかかわってきましたが、「主体性の欠如」は驚くべきことに、企業規模、業種、職種、世代に関係なく、多くの日本企業に見られる共通点です。

研修などを通じて、経営者や企業の人事の方と話すと決まって出てくるのが「言われたことは真面目にやるんだけど、自分からは主体的に動かないんだよね」という言葉です。

では、なぜ日本人の主体性は弱いのか?

その理由の一つが歴史的な背景にあります。


・稲作 
 弥生時代から伝わる稲作によって、私たちは、集団(村)という共同体の中で、生活をしてきました。それは、「集団」の中で協力」しながら生きるという、日本人の生き方に大きな影響を与えました。

・奈良時代 日本という呼ばれ方が始まったのがこの時代ですが、厩戸皇子(聖徳太子)の制定した17条の憲法はリーダーのコンピテンシーを創ったものです。

その第一条は「和を持って、尊しとなす」から始まります。いかに「自己主張」より仲良くする事が重要なテーマであったかがわかります。

・儒教思想
宗教を国家運営や統治に利用するというのは、ローマ帝国がキリスト教を国教とした時代から、統治者が使用する常とう手段です。


日本における仏教にもそういう側面が見られます。
儒教も5世紀に学問として日本に入ってきてから、朱子学、陽明学など形を変えながらも
明治天皇の教育勅語に、日本の道徳形成に影響を与えてきました。


自分の意思よりも目上の人の意思を尊重するという事につながるわけですが、ある意味、日本人の主体性を奪う要因になったとも言えます。


・江戸時代 五人組制度

徳川幕府による長期政権は、騒乱が起きないように、五人組制度と言う相互監視システムを創り上げました。

町人同士、農民同士の五人一組で監視し合うものですが、隠れキリシタンや年貢の取れ高など、ごまかさないようにお互いをけん制し合う中で、人と同じであることが良い、人に迷惑をかけない、恥をかかないという価値観が強く形成されて行きました。


・大正から昭和初期

近代化が進む中で、技術を身に着けたら、より自分を高く買ってくれる企業に移るという転職が盛んな時代でした。

ですが、戦争ともに、軍需産業に安定した労働力を確保したい国の意向で国家総動員法をはじめとした「転職の自由」を奪う法律が制定され、労働も「国家への奉仕」であるという教育がされるようになりました。


・戦後

戦後しばらくたった後、高度経済成長に向かう中で、大企業を中心に安定した労働力の確保が、急務となり、雇用三種の神器と言われる「終身雇用」「年功序列」「社内労働組合」が次々と導入されてゆきました。

安定した雇用を保証する代わりに、ビジネスマンに求められたのは、軍隊のように上下関係がある組織において「言われたことを忠実に実行する」能力であり、過去からの成功体験をもとに、同じことを同じ精度で効率よく実現することでした。


それはモノづくり、工業が産業の中心であったからです。
このような背景の中で、うまく社会に適応してゆくには、「個」の考えや判断をしまい込み、組織に対する忠実性を発揮するしかなかったのです。


それでも中には、自分の考えで動きたいと考える人間がいましたが、会社のパワーバランスの中で活躍する場が見いだせず、腐ってゆくか、私生活に目を向けるか、組織の背を向けて出てゆくかしかありませんでした。


かくして、会社の中には「忠実性」を武器として、リスクを冒さず、現実にうまく対応する能力に長けた人たちが主流として残ってゆきました。


いつの時代にも絶対的に通用するシステムはなく、日本に勢いのあった時は上意下達でも良かったのですが、変化を必要としている時代がやってきた今、意識を変える必要性は頭の中で理解できていても、リアリティが感じられず、しかも過去に経験のないことを求められても、どうしていいかわからずにフリーズしているというのが、多くの日本企業で働くビジネスマンの姿なのです。


そして、21世紀に入って20年経過した今も、リスクを避け、忠実性を重んじる風土は、今も色濃く日本の多くの企業の中に根付いています。