アフターコロナの思考法

コロナ禍の後をにらんでどう生きるか? 夏に向かえば、暑くなれば、収束するであろうと言われたコロナウィルスの猛威は、梅雨を迎えた今もとどまる事を知りません。 日本で発生してから、半年経過した今も、私たちは有効な解決策を見いだせないでいる。 世界中を襲っている大疾病により、人類は目に見えない敵との終わりの見えない闘いを強いられています。 では、この状況の中、そしてコロナが収まった後で私たちは、どのように生きれば良いのでしょう? 「先のことは考えられない、今日ですら見えない状況」であることは確かですし、特にお店など「箱型」のビジネスを営まれている方々は出口に見えない真っ暗なトンネルに入ったような気分だと思います。 生活基盤が根底からひっくり返された状態で何も考えられない状態かもしれません。 でも、生きるために前を向くしかない。 嘆いていても、何も解決にはならない。 そこは、持っている知恵を働かせ、考えてゆかなくてはならないと思います。 私も「箱型」のビジネスではありませんが、人に集まってもらう事が前提のビジネス(人材教育、研修)ですから、決まっていたスケジュール(つまり、売り上げ)も全部ぶっ飛び、売り上げはほとんどなくなりました。 良い形で、広がってゆく手ごたえがあり、この先の展開を非常に楽しみにしていた矢先です。 ぶつけようのない怒り、イラダチ、絶望感、虚脱感に見舞われました。 今回のコロナ禍は、世界中の人々の生活習慣を大きく変えるほどの災害ですから、自分だけのことではないと納得しようにも、なかなか受け入れられない現実がありました。 もはや、元の状態に戻る事はないでしょう。 だから、納得できなくても、この新しい生活スタイルの中から、新しいビジネスを、新しい価値を創ってゆかなくてはならないのです。 幸い、私の場合は、モノを売る仕事ではないので、仕入れは発生しませんし、方向転換するにも比較的身軽にできます。 今は直接会わなくても、顔を見て、コミュニケーションをとる手段があります。 基本的に、ネットは苦手のおっさん世代ですから、いつかは・・・と思っていてもオンラインの教育などは手を出さなかったわけですが、やらざるを得ません。 やらざるを得ないというと「仕方なく・・・」というニュアンスに聞こえるかもしれませんが、私はやっと能動的に捉えられるようになりました。 どういうことかと言うと、 新しい生活スタイルになるという事は、「新しい問題」が発生する、「新しいニーズ」が生まれるという所に目を向けたからです。 現実に、この状況下で売り上げを飛躍的に伸ばしている業態も沢山あります。 Amazonなどの通販やNetflixのような動画配信、そして、箱型ビジネスである飲食でもマクドナルドやケンタッキーのようにもともとTAKEOUTを扱っていた業態、。 宅配や外食代わりに内食が増えたことによるスーパーマーケット。 抗菌商材を扱っているところも同様です。 つまり、そこにニーズが生まれたからです。 私の場合は、集合型研修の中でも、コミュニケーション型、体験型でしたから、集まらないと意味がないし、話し合わないと成立しない形でしたから、一気に意識を変えざるを得ませんでした。 それが、功を奏して、オンライン型の研修や教育プログラムが誕生したのです。 オンラインのコミュニケーションは、ある程度はダイレクトコミュニケーションの機能は果たせても、完全に代用できるかと言うとそうではありません。 直接話せないところに「相手の本音が見えない」「状況が見えない」「情報量が限られる」等の問題が発生し、これがミスやムダ、トラブルを生んでいるわけです。 では、その問題をどう解決するか? という事で、今はZOOMを使ったオンラインコミュニケーションをベースとしたプログラムがビジネスの中心になってきました。 半年前には考えられなかった事です。 でも、新しいニーズに目を向けた事で開けた道です。 今後はオンラインコミュニケーションが「当たり前」になるのは間違いありませんから、その中でコーチングスキルを使ったプログラムを沢山開発し、展開してゆこうと思っています。 どれだけ短い時間で、有効なプログラムを開発できるか? それが、目下、私のの課題になっております。 これから、一年くらいかけて、「青木栄明の人材教育ユニバース」を創ってゆこうと思っています。 また、出来上がり次第、ご紹介しますね。 コロナ禍はだれも予測していなかった急激に起こった疾病災害です。 でも、新しいニーズに目を向けて、いち早く取り組む事。 これが、今は一番重要なことなのではないでしょうか?

コロナがビジネスマンにもたらす「改革」②

コロナ禍がビジネスマンにもたらす二番目の「改革」は「考え方改革」です。 「考え方改革」とは一体何か?と言うと、今まで染みついた「楽を第一に考える」思考を手放すという事です。 どういうことかと言うと、多くのビジネスマンは、何か行動を起こす上で、難しいことは避け、どうすれば良いかを上に聞いて行動しようとします。 特に日本人はその傾向が強いと思います。 具体的に言うと、何か質問をされた時に、自分で考えて答えを出そうとせずに、早く聞き出して、その通りやろうとする。 その方が「楽」だからです。 研修でも、参加者に質問をすることが多いのですが、あらかじめ、注意しておかないと、スマホで検索して答えを調べようとする人もいます。 「どう思いますか?」と聞いているのに「楽をすること」に注意が向くのです。 恐ろしいくらいに自分で考えようとしない。 だから、いつまでたっても、思考力や判断力が育たず、また責任感も育ちません。 人から言われたことをやってうまく行かなかったとしても、それは自分の答えではないからです。 なので、どこかいつも他責のスタンスで、成長しません。 今までは、これでもなんとかやってこれました。 しかし、今後コロナをきっかけに、人との接触機会が減ってゆくと、自分の「仕事」が丸裸にされてゆきます。 集団にまぎれ、責任を負わないように生きる生き方はできなくなり、 自分で考えて、決めて、責任を持って遂行するという「主体性」が必要になってゆきます。 自分で考える事の次に、必要な事は「出来ない理由」を探すのではなく、「やるとしたら、どうするか?」を常に考える習慣を身につける事です。 なぜなら、出来ない理由は、過去の経験値が基準ですが、答えのない時代に「過去の正解」は意味を持たなくなるからです。 では、どのようにして、「過去にとらわれない」思考を身に着けるか?という事ですが、「自分の未来を創る」事をお勧めします。 「未来を創る」とは、自分のビジョンやミッションを定義し、その実現のために必要なことを考え、埋めてゆく事です。 未来が創れれば、自ずと過去には囚われなくなります。 未来に向かえば、「やらない理由」は必要なくなります。 「自分の未来を創る」。 是非チャレンジしてみてください。 未来の創り方がいまひとつわからないという方は、お気軽にご連絡ください。

コロナがビジネスマンにもたらす「改革」①

■コロナがビジネスマンにもたらす改革①
今回のコロナ禍をきっかけに、ビジネスを取り巻く環境も大きく変わろうとしています。 くしくも、働き方改革という方針を政府が打ち出し、形ばかりが先行していた状況から、一気に実体を伴った変化に移行せざるを得ない状況になったと言えます。 そんな変化が起こる上で、今後、企業とビジネスマンが改革してゆかなくてはならない事柄があります。 それは「関わり方改革」「考え方改革」「動き方改革」という3つの事柄に関してです。 今日は、「関わり方改革」について、考えてゆきたいと思います。 なぜ、「関わり方改革」が必要なのか?ということですが、今後明らかに、人との対面における接触機会は減り、さらに接触頻度も落ちてゆく事が予想されます。 そうなると、会ったこともない人といきなりZOOMで打ち合わせをする、説明をするという場面も多くなってきます。 現在もZOOMで集合教育プログラムを実施しておりますが、その中で若手の方から、オンラインだと本心が見えないので、目上の人に意見が言えない、質問できないという声を多く聞きますし、 また、仕事の話だけでは、なかなかお互いを理解できず、うまく対話を展開できない、どこまで踏み込んで良いか、わからないなどのお話も多々あります。 なので、今後は、「自分を知ってもらう」「相手を理解する」という事に対し、ショートカットするようなシステムが必要になるのです。 コロナ以前は、私も経営者の会合に頻繁に参加しておりました。 そこで、十分なコミュニケーションを取る事で、人柄や仕事の内容がわかり、信頼関係ができると仕事に繋がってゆくという、ある意味王道的な人脈構築法であったのですが、 直接対面の機会がなくなり、この「伝家の宝刀」が使えなくなりました。 実は、このアナログ的なアプローチは、私たちの祖先であるホモサピエンスの時代から、人間が生き残り、発展してゆく為には必須のものでしたが、 今、何万年もの間、積み重ねてきた人類の英知を手放す必要に迫られているという事なのです。 では、今後はどう考えたら良いのでしょう? コロナ禍に関しては、ワクチン、特効薬が流通するようになってやっと一区切りだと思いますが、集まらずに、会わずにできていた事は、そのまま継続になり、人との関係は、今まで以上に、使い分けの時代になると考えられます。 人が集まるのはイベント、催事、冠婚葬祭、会社で言うと、ひと月に一回の会議など、非日常の出来事に限られ、その他はオンラインと言う形になるのではないでしょうか? これも、また新型コロナに次ぐ、新たな脅威が出現することによって、さらに激変する可能性がありますが、人と人が直接会わずに交流も持つことが求められるようになってゆくでしょう。 そうすると、あまり考えたくはないのですが、中国が実施している個人の「信用スコア」のようなシステムが出来たり、一度も会わずに、信頼関係を築けるような仕組みが出来上がる可能性もありますが、登場するとしても、まだしばらく先になると思います。 では、それまでに、私たち一人一人が何をすべきなのかということですが、 今まで時間をかけて、お互いを理解することで確認できていた「人となり」をわかりやすくする必要があります。 まずは、一人一人が自分を深く知り、理解し、説明できるようになる必要があるという事です。 自分の価値観、強味、長所、武器、リソースなどを根拠を持って話せるように。 でも、意外と私たちは自分のことをわかっていません。 では、どのように、自分を知り、理解を深めてゆくかですが、私が提供している主体性プログラムの中でワークとして体験できますので、ご興味があれば、是非一度取り組んでいただきたいのですが、 端的に言うと過去から自分の歴史を遡り、自分の経験と得たもの、わかった事を言葉に落としこんでゆく事です。 その中から、化石を発掘するように「自分」を探し出してゆくのです。 そうすると、自分が大切にしている考え方や強味、武器などが整理されてゆきます。 また、もう一つのアプローチは、自分を知って、理解したことを「自分の取扱説明書」に置き換えて創り、名刺のように流通させるという事です。 もちろん、そこには先ほど出てきた「価値観」や「強味」なども必要ですが、弱みも含めて、「人となり」を伝える事が必要です。 人見知りする方ですとか、自分から話しかけるのは苦手です、余裕がなくなるとイライラすることがありますなど、特長と特徴を説明したものを交換し、そこから話を始めるというプロセスを経れば、直接会わなくても、ある程度お互いを理解した上で、仕事を進める事が出来ます。 この自分取説作成講座も近々リリースしますので、楽しみにしておいてください。 もう、元に戻る事はありません。 変化に対応した人との「関わり方改革」。 是非実践してみましょう。

主体性とは?

■主体性とは? 日本人がこれから、最も必要になると言われている「主体性」とはどんなものなのでしょう? 言葉で表現すると「自分で考え、決めて、責任を持って実行する性質」という事になります。 そんなに弱いのかなぁ?と思われた方もいらっしゃるかも知れませんが、「自主性」と言うものと区別する事が出来たら、納得されるのではないかと思います。 「自主性」とは「決められたことを率先して行う性質」を言います。 つまり、「答え」がある事、「やる事が明確である」事が前提なのです。 例えば、「今からオフィスの大掃除をする」という事になったとします。 その時に何も言われなくても「じゃあ、私トイレ掃除しますね」と率先して、行動に移す人。 この人を自主性のある人と言います。 こういう方は、そこそこいらっしゃると思いますし、 やる事が明確であれば、少なからず自発性を発揮できる人は多いと思います。 でも、何をやったらよいか、答えがない状態になると自分で動ける人は非常に少ないのです。 ある企業のお偉いさんと話したときに、典型的な主体性の欠如を表すこんなエピソードを語っておられました。 「コロナに対する会社の方針が出た時に、いかに安全性を担保するのか?を考えるより、会社の方針に合った行動なのか?を考える人間が多いんだよね」 主体性が高ければ、自ら情報を取り、自分でどうするかを考えて、行動するところではありますが、答えにあっているか?を求めて行動する習慣は、時として本末転倒の行動を誘発してしまうのです。 なんで、こうなるのでしょう? 実は、主体性を発揮しようとすると、自己責任が発生するという事が大きく影響していると考えられます。 自分で考える、決める「自由」よりも「責任」に目が行ってしまう。 また、実はそういう人に限って、実際に責任を追及された経験はなく、「責任」をまだ見ぬ未知のモンスターのように捉えてしまっている。 結果として、責任を負うというリスクを避けようして「人と同じ、横並びの答え」を求めてしまうという習性が染みついているのです。 これは、多くの日本人にとって、大変根深い問題ですが、主体性を「今」こそ身に着けてゆかないと後々大変なことが私たちに降りかかってきます。 その大変なこととは何か? それは、例えばそれは、危機対応能力に顕著に表れると思います。 世界情勢は、非常に流動的で、想像つかない事が現実として起こってくる可能性があります。 例えば、このコロナ禍で世界が苦しんでいるときに、中国は覇権国家になるという野望を隠そうとせず、武力行使をちらつかせながら、近隣諸国に対し、紛争の種を撒いています。 アメリカの出方次第で、いつ日本も中国から攻撃されるかわからない状態であるという事を私たちは認識すべきです。 でも、日本国内、特に政治家達は、外敵に対する認識は甘く、優先順位の低いことに対し、無駄な時間と税金を投入しているわけです。 マスメディアも事実を伝えているわけではなく、意図的に情報操作を行っているという事が明白になってきており、今やネットの方が事実を早く伝えるようになってきています。 こんな状態で、突然中国に襲ってこられたらどうなると思いますか? 国が、政治家が、自衛隊が・・・など、自分達の命に係わる判断を根拠のないものに依存し、自分でジャッジできない事で中国に支配されてゆくのは容易に予測がつきます。 なので、今こそ、私達一人一人が「自分の頭で考え、決めて、責任を持って実行できる」ようにならないといけないのです。 今何をすべきなのか?を。 世界情勢の話をしましたが、身近かなところでも、主体性が必要とされてきています。 次回は、主体性なき日本人を襲う危機についてもっと掘り下げて考えてゆきたいと思います。

日本人の主体性が弱い理由❸

主体性を発揮する事による不利益 三つ目の理由は、自己矛盾です。どういうことかと言うと主体性の発揮という一見、どう考えても自分を「あるべき方向」に導いてゆくはずの行動が、実は自分にとって、「不利益」を連想させるということが主体性を身に着けられない原因になるという事です。 例えば、身近な例で考えるとダイエットがあります。私たちは、痩せた方が健康的で、また着られる服も増えたり、見た目も良くなったりと良いことがたくさんあるのにも関わらず、途中で挫折してしまう事が多い。 なぜ、どう考えても良いことずくめなのに挫折してしまうのか? それは、我慢すると言う事に苦痛を感じ、現状で得ているベネフィットを手放したくないという気持ちが妨害するからです。 例えば、好きなものを好きなだけ食べられるという事は、とても捨てがたい魅力ですし、食べ終わった後の「満腹感」は「幸福感」を誘発しますし、また、ストレスを軽減させる処方箋でもあります。 このように主体性という、明らかに自分にとってプラスになる性質を手に入れようとする場合にも主体性を放棄することで、手に入れている「ベネフィット」を手放さなくてはならなくなるので、身に着ける事が難しいのです。 主体性を発揮するという事は、収入が増えたり、チャンスが広がったり、自分の人生を生きるという実感や「自信」を得ることになり、多くのベネフィットがある反面、「負担」「リスク」を追う事になります。 この負担やリスク、あるいは責任という一見「楽でない」ものを避けたいという自己防衛の本能を私達は持っています。 言い換えると、私達は、常に「快楽を得たい」という感情と「苦痛を避けたい」という感情に揺れ動きながら生きているという事です。 さらに、私たちの脳は、「大きな変化を嫌う」傾向にあり、私たちの意思や行動に「現状を良し」とする働きかけをします。 なので、主体性を持つためには、リスクや負担、責任などを「快楽」に変換する必要があります。 これもまた後でお話ししますね。 ここにあげたもの以外にも、私たちが主体性を持って生きる上での「障害」はたくさんありますが、「自分はどう生きるか」を考え、決めて生きてゆかないと、泥船とともに海中深く沈んでゆく事になります。

日本人の主体性が弱い理由❷


日本における環境的な要因・年功序列の給与体系

日本の社会形成に大きな影響を与えた儒教の教えは、年功序列という考え方を反映した給与システムにも色濃く影響したと考えられます。                               つまり、その人の「実力」や生み出す「成果」よりも経験や年齢を重んじて給与が支払われるという事ですが、言い方を変えると「やっても、やらなくても給料はあまり変わらない」
という事も言えます。                               これが、主体性の欠如に大きく影響を与えたと考えられます。 以下の表をご覧いただきたいのですが、アメリカのギャラップ社という調査会社が発表した「国別の熱意にあふれた社員の比率」を比べたグラフです。                               経団連がこの結果を踏まえて、大きな危機感を持ったというニュースが、新聞に取り上げられていましたのでご存じの方もいらっしゃると思いますが、「熱意にあふれた社員」の比率がアメリカが31%に対し、日本は6%と大きく開きが出ています。
エンゲージメント比較
これが、今日における日米企業における「生産性」の差になっていると考えられます。                                 ご存じの通り、アメリカは貧困の格差が大きく、稼げる人と稼げない人のギャップが大きくなっていますが、これもキャリアや年齢ではなく、能力で人が評価されるという事によって生まれています。                               なので、自分の給料を上げたければ、自ら自分に投資をしたり、勉強をし続けていき、自分の価値を上げ続けてゆく必要があるわけです。                               これは、「日本と欧米の教育の違い」という問題も大きく影響しています。                               最近は日本も少し変わってきているようですが、従来、日本における学びの目的は、偏差値の高い学校に入り、大きな企業に入る事でした。                               しかし、欧米における教育は、将来を見据え、自分の個性を探し、自分がしたいことを見つけ、自分が進むべき道を見つけるためのプロセスになっています。                               なので、大学に入ってから、多くの日本の学生のように燃え尽きることなく、目的をもって学び続けるわけです。 さらに、その姿勢は、社会人になってからも継続します。
                             対して日本は、「何のために?何をする?」ではなく「どこへ入る?」というところに価値を置いたブランド主義の弊害が色濃く残っている上に、評価制度に年功序列が色濃く残っているので、主体性はなかなか身につかないのです。 これが今日「答えのない」時代において、アメリカと日本の大きな差になっています。 私は、ビジネスコーチと言う仕事をしていますが、コーチングが日本に入ってから、20年以上経っているにもかかわらず、日本でなかなか市民権を得られていない理由もここにあると思っています。 コーチングは、コーチを活用して視点、視野、視座を変える事で、気づきを得て、自身の新たな推進力にしてゆくものですが、「答えはその人の中にある」という事が前提です。 つまり、「すべての答えを自分の中に見出せる」人でないと機能しない。                               もっと言うと、いろんな制約がある中で、可能性を見出し、自分で考え、決め、移せる人、つまり「主体性」がない人には機能しないのです。

能力給でない日本のビジネスマンは主体性が持てないのか?

では、能力給でなければ、主体性は持てないのか?と言うとそうではありません。                               頑張ったご褒美がお金と言うのはわかりやすいのですが、逆に頑張っても、頑張らなくてもお金が増えないとしたら、本当に主体性は育たないのでしょうか?                               私はそうは思いません。                   なぜなら、私たちが人生において得たいものはお金だけではないし、目先のお金に繋がらなくても主体性は獲得できるはずです。                              むしろ、私たち日本人だからこその強味があるはずだと思っているからです。                               これについては、また別の機会にお話しします。

日本人の主体性が弱い理由❶

■日本人の主体性が弱い理由❶

私は今まで、組織コーチや研修講師として5000人を超えるビジネスマンにかかわってきましたが、「主体性の欠如」は驚くべきことに、企業規模、業種、職種、世代に関係なく、多くの日本企業に見られる共通点です。 研修などを通じて、経営者や企業の人事の方と話すと決まって出てくるのが「言われたことは真面目にやるんだけど、自分からは主体的に動かないんだよね」という言葉です。 では、なぜ日本人の主体性は弱いのか? その理由の一つが歴史的な背景にあります。

・稲作                          弥生時代から伝わる稲作によって、私たちは、集団(村)という共同体の中で、生活をしてきました。それは、「集団」の中で協力」しながら生きるという、日本人の生き方に大きな影響を与えました。

                            ・奈良時代 日本という呼ばれ方が始まったのがこの時代ですが、聖徳太子の制定した17条の憲法はリーダーのコンピテンシーを創ったものです。 その第一条は「和を持って、尊しとなす」から始まります。いかに「自己主張」より仲良くする事が重要なテーマであったかがわかります。                             ・儒教思想
宗教を国家運営や統治に利用するというのは、ローマ帝国がキリスト教を国教とした時代から、統治者が使用する常とう手段です。
日本における仏教にもそういう側面が見られます。
儒教も5世紀に学問として日本に入ってきてから、朱子学、陽明学など形を変えながらも
明治天皇の教育勅語に、日本の道徳形成に影響を与えてきました。
自分の意思よりも目上の人の意思を尊重するという事につながるわけですが、ある意味、日本人の主体性を奪う要因になったとも言えます。 ・江戸時代 五人組制度 徳川幕府による長期政権は、騒乱が起きないように、五人組制度と言う相互監視システムを創り上げました。 町人同士、農民同士の五人一組で監視し合うものですが、隠れキリシタンや年貢の取れ高など、ごまかさないようにお互いをけん制し合う中で、人と同じであることが良い、人に迷惑をかけない、恥をかかないという価値観が強く形成されて行きました。 ・大正から昭和初期 近代化が進む中で、技術を身に着けたら、より自分を高く買ってくれる企業に移るという転職が盛んな時代でした。 ですが、戦争ともに、軍需産業に安定した労働力を確保したい国の意向で国家総動員法をはじめとした「転職の自由」を奪う法律が制定され、労働も「国家への奉仕」であるという教育がされるようになりました。 ・戦後 戦後しばらくたった後、高度経済成長に向かう中で、大企業を中心に安定した労働力の確保が、急務となり、雇用三種の神器と言われる「終身雇用」「年功序列」「社内労働組合」が次々と導入されてゆきました。 安定した雇用を保証する代わりに、ビジネスマンに求められたのは、軍隊のように上下関係がある組織において「言われたことを忠実に実行する」能力であり、過去からの成功体験をもとに、同じことを同じ精度で効率よく実現することでした。
それはモノづくり、工業が産業の中心であったからです。
このような背景の中で、うまく社会に適応してゆくには、「個」の考えや判断をしまい込み、組織に対する忠実性を発揮するしかなかったのです。
それでも中には、自分の考えで動きたいと考える人間がいましたが、会社のパワーバランスの中で活躍する場が見いだせず、腐ってゆくか、私生活に目を向けるか、組織の背を向けて出てゆくかしかありませんでした。
かくして、会社の中には「忠実性」を武器として、リスクを冒さず、現実にうまく対応する能力に長けた人たちが主流として残ってゆきました。
いつの時代にも絶対的に通用するシステムはなく、日本に勢いのあった時は上意下達でも良かったのですが、変化を必要としている時代がやってきた今、意識を変える必要性は頭の中で理解できていても、リアリティが感じられず、しかも過去に経験のないことを求められても、どうしていいかわからずにフリーズしているというのが、多くの日本企業で働くビジネスマンの姿なのです。
そして、21世紀に入って20年経過した今も、リスクを避け、忠実性を重んじる風土は、今も色濃く日本の多くの企業の中に根付いています。

いつでも会社に退職届を出せるビジネスマンになる為のステップ